委員会活動

【08.07.17】2008年度県例会

2008年度県例会

  2008年度県例会は、7月17日(木)に金沢国際ホテルにて開催され、「不況に負けない会社づくり」~自発的な社員が会社を救う~と題して、大田堯氏(東京大学名誉教授)が講演した。また、例会委員会では、徹底討論で全国大会を味わってもらおうと、30分と80分の2回の討論を実施、4時間30分という長丁場に、114名が参加した。以下は講演要旨。
■企業の存在意義とは
 戦前、戦中、戦後を生き残り、3月で90歳を迎えた。不況に負けない会社というより、人間の話を中心としたい。 企業は儲からないと成り立たないが、儲けるとか利益を上げる、そのことだけでは自己中心的で寂しいではないか。本質的な企業の社会的存在理由がある。「共に生き・共に育つ」は、中小企業家同友会の哲学であり原理であると思う。共に生き、共に育ちあうための「企業の方策」が目標であるはずである。利潤をあげることは前提であるが、最終的な存在意義は「どうゆう社会的貢献をするのか」を企業の繁栄とあわせて考えていくことだと思う。同友会が「経営指針の成文化」を大事にしているのには、その中に社会的意義を持って、どのように経営を成り立たせるのかを表現するわけだ。
 私が「劇場としての病院」と呼ぶ岡山同友会の岡山旭東病院(土井章弘院長)には、院長室がなく、穏やかな色あいで画廊と間違えそうなクスリの臭いがしない待合室があり、道化師が患者の心を癒しにやってきて安心した雰囲気がある。ここの経営理念には「安心して命を委ねられる病院」「快適な人間にあうあったかい医療環境を備えた病院」(一部)といった人間的値打ちが掲げられていて、こういう成果をあげよといった競争原理は表れていない。むしろ他の医療機関と協力して多くの患者さんのために努力し、演奏会やバザーを開催するなど地域を大切にしている。私が、劇場としての病院と言うのには、それぞれの人間が出番を持って役割を果たすという雰囲気を大事にしているからである。
 私は、企業は劇場でありアートであると思っている。かかわりの中から人間の可能性を発揮して、オリジナルなものを作り出していく創意工夫の面白さがある。成果主義的な経営ありきではなく、何のために経営するのかと言うところにある「共に生き・共に育ちあうことに貢献する企業」という哲学の存在が大事である。現代の市場経済の中でそのことを理念とする同友会は異色な団体である。今の不景気な状態では、「人間性回帰」を企業として地味に粘り強く貫いていくことによって、次時代への可能性が見えてくるのではないか。
■互いの違いを認め合う     
 知人の近田洋一氏が六月に亡くなった。彼は、埼玉県の鴻巣駅の近代化にともなう橋上化に反対する障害者グループの活動を追ったルポルタージュ「駅と車椅子」で八十四年に「日本ジャーナリスト会議奨励賞」を受けている。この本から、重度の障害者の要求はスロープの設置などではなく、健常者と同じように普通の人間として扱ってほしいという欲求や、重度身体障害者の深い人権意識の自覚の芽生えが痛切に読み取れる。さらに障害者を持つ親に対しては同情するが、障害者自身の尊厳については本当に希薄である。「共に生きる」とは、重度身体障害者であってもお互いに認め合うことであって、企業においては、社長が何となく社員を下に見ていれば社員との間にバリアーができているのだ。それを解いた上で、叱ったり叱られたり、そういった関係ができた会社こそ生き残れるのではないか。 
■教育は学習能力の介添え役
 胎児は自ら栄養を作り出し、羊水も自ら分泌し、自らの力で産道を通り生まれてくる。つまり、自らの「自律」によって出てくる第三者だ。親の私物ではなく、父とも母とも違う未来を担う第三者としてみよ。確率的にはいつ重度の障害児が生まれてもおかしくないのだ。人間は非常に未熟なまま「社会的胎盤」の中に生まれる。社会的胎盤とは、社会と文化のことで、そこに適応するように既に生まれた時から学習は始まっている。体の代謝活動と共に、情報を選択する「脳代謝活動」によって生きている。そして、他の動物は長い年月をかけて体を変化させるが、人間は体の外に道具を作るようになった、これが文化だ。
 「はらぺこあおむし」という絵本をご存知か?あおむしは、卵からかえり、むしゃむしゃと葉っぱを食べ大きくなり、さなぎになって、さなぎを食い破って、自分の力で蝶になる。あらゆる生物は自ら変わる力を持っている。そして成長力と学習力を持っている。学習は生存権の一部だ。多くは、学習活動を教育活動の一部だとお考えではないか。そうではなくて、まず学習があって、自ら変わるという学習能力があらゆる人にあって、自らの学習能力を介添えすることが教育なのだ。そのことは、ユネスコの学習権宣言で「人類の生存にとって不可欠な手段である」と示している。だから、人づくりの考え方を根本から考え直すことが必要と申し上げたい。教育によって人を変えることはできない。一人ひとりの人権の保障は、まず学習権ありきなのだ。自分の考え通りに変わってもらおうというのは自然の摂理に反し、成功するわけはない。介添えに徹することを同友会では「共に育つ」と表現している。学習権を基礎にするから教育ではなく共育。
 今の子供達が失っているのは「野生」ではないか。人間らしさの代わりに情報を詰め込まれ、テストの結果に大騒ぎする。成果主義ではなく、人間の本質をその子その子に応じて伸ばしてあげる方向に教育が向かわなければ、日本は危ないと感じている。競争原理の一番の弱点は自分を見失うこと。人間は他者を通して自分を知り、発見し、自分の自画像を作り上げていく。しかし、今の若者達は、感情の交わりやぶつかりあいが希薄で、仲間はずれにならないことに悪戦苦闘して、自分が見えない欲求不満がたまっている。市場経済がどんな人間の状態を作っているか、今一度反省する時ではないか。 
■違いを受け入れよ
 人間は矛盾を抱えながら生きている。それは、人間はみな自己中心的な存在でありながら、一方でかかわりがないと生きられない動物である。そのバランスをとりながら、人格は形成されていく。自ら変わる可能性を持ち、問題意識を持ち、不完全な中でかかわりあっている。生物は全部違うように作られていることによって、自然の大きな変化や災害にも必ず生き残るものができ、種の持続が成立すると推定する。個人の尊厳と違いを大事にし、同化を求めず、相互に認め合って欲しい。自分は完全と思って社長をしている方もいるかもしれないが、世の中には完全な人はいない。人を変えることはできないから社長が変わる。社員に完全を求めるのではなく、「話し合い」を大切にして違いを受け入れよ! (文責:事務局)

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